首里城の大火災…歴史の深い文化財。焼失は実は5度目?その出火原因とは?
沖縄の象徴ともいえる、文化財
『首里城』
令和元年10/31朝、原因不明の大火災が発生しており、
31日8時現在も消化活動が続いている。
今回の火災により焼失すれば、首里城は
5度目
の焼失となってしまう。
※2019/10/31 16:03追記。正殿等焼失。詳細は「2019年 5度目の焼失」にて
何故、こんなにも火事にあっているだろうか?
1回目の焼失 1453年
尚金福王の死去後に発生した王位争い
『志魯・布里の乱』の戦禍により焼失してしまった。
城内は完全に破壊されてしまったが、数年後に再建された。
2回目の焼失 1660年
失火により、全焼。
(失火:過失から火事を起こすこと。また、その火事)
再建に12年もの期間を要している。
3度目の焼失 1709年
失火により全焼。
1712年に再建が始まり、3年で工事が完了している。
この時に多くの材木を提供したのは薩摩藩であり、
3度目の再建後の姿が、現在の首里城が基にしているものである。
4度目の焼失 1945年
沖縄で起こった戦争により、焼失。
その後、アメリカの統治時代へと移っていった。
復元・復興は現代まで続いており、首里城の部分的な一般公開がなされていた。
日本においても非常に重要な建築物となった。
2019年 5度目の焼失
現在も消火活動が続いている。
出火原因は何なのか、続報が待たれる状態だ。
2019/10/31 16:03追記
11時間に渡る消火活動の末、午後1時半に火は消し止められた
殿、北殿、南殿・番所、書院・鎖之間(さすのま)、黄金御殿(くがにうどぅん)、二階御殿(にーけーうどぅん)の6棟で、計4200平方メートルがほぼ全焼
正殿、北殿、南殿・番所、書院・鎖之間(さすのま)、黄金御殿(くがにうどぅん)、二階御殿(にーけーうどぅん)の6棟で、計4200平方メートルがほぼ全焼した。
正殿、北殿、南殿・番所、書院・鎖之間(さすのま)、黄金御殿(くがにうどぅん)、二階御殿(にーけーうどぅん)の6棟がほぼ全焼。
焼失した範囲は計4200平方メートルがに及んだ。
原因は戦争と人的ミス
焼失の歴史をたどっていくと、2度は戦争によるもの、2度は人的ミスによる火災によるもの、であるとされた。
戦争は時代・世界情勢に起因し、首里城の管理自体に問題はないだろうが、後者の人的ミスについては未然に防ぎようがあったようにも思える。
今回の出火原因は様々な憶測が飛び交っている状態だが、
『自然発火』
『悪意ある放火』
ではなく、
『人的ミスにより無意識に出火した』
のであれば、これで三度失火させてしまうことになる。
非常に重要な歴史的建造物であるので、再建される可能性は高い。
出火原因がもし人的ミスの『失火』なのであれば、それが300年以上前のことであるならばまだしも、テクノロジーが進化し情報が圧倒的に多く早くなった現代では問題があるように思える。
首里城の管理能力について今一度見直すべきかもしれない。
それとも、出火原因にはもっと深く、外野では知ることのできなかった大きな理由があるのだろうか?
今後の首里城に対するニュースや、政府の対応が待たれる。
参考文献(Webサイト)
http://www.kuniken.co.jp/history/pdf/syashi10.pdf
http://www.dc.ogb.go.jp/kouen/shurijo/pdf/h28syuri_jigyougaiyou.pdf